「幸福になりたい」
誰もが思う。でも、どうすれば幸福になれるのか。哲学者はそれぞれの答えを出してきたけれど、科学的な検証はあまりなかった。
21世紀に入って、心理学が本格的に「幸福」を研究し始めた。ポジティブ心理学。マーティン・セリグマンを中心とする研究者たちが、「何が人を幸せにするのか」を実験と統計で調べ上げた。
結果は、意外なものと、予想通りのものの両方だった。
幸福の50-10-40法則
ソニア・リュボミアスキーの研究によると、幸福度は三つの要因で決まる。
遺伝的設定値:50% 生まれつき、幸福を感じやすい人とそうでない人がいる。これは変えられない。
環境:10% 収入、健康、婚姻状況、住んでいる場所。驚くべきことに、これらは幸福度の10%しか説明しない。
意図的行動:40% 日々の行動、考え方、習慣。ここが変えられる部分。
最初にこれを読んだとき、衝撃を受けた。
環境が10%? 年収を上げても、大きな家に住んでも、10%しか変わらない?
でも思い当たる節はある。昇進して給料が上がったとき、最初は嬉しかった。半年後、それが当たり前になった。「快楽の踏み車(ヘドニック・トレッドミル)」と呼ばれる現象だ。どんな良いことも、慣れれば幸福度は元に戻る。
PERMA:幸福の五要素
セリグマンは、幸福(ウェルビーイング)を五つの要素で定義した。
P - Positive Emotion(ポジティブ感情):喜び、感謝、希望、好奇心。 E - Engagement(没頭):時間を忘れるほど何かに集中すること。フロー状態。 R - Relationships(人間関係):良好な人間関係。愛し愛される関係。 M - Meaning(意味):自分より大きなものに貢献している感覚。 A - Achievement(達成):目標を達成すること。成長の実感。
これを見て、自分の生活を点検してみた。
ポジティブ感情:まあまあ。でも意識して増やす努力はしていなかった。 没頭:仕事で忙しいとき、没頭できている気がする。でも趣味ではあまり。 人間関係:家族とは良好。でも友人と会う機会が減っている。 意味:会社の仕事に意味を感じているか……微妙。 達成:最近、何かを達成した感覚がない。
五要素で見ると、自分の弱点がわかる。
感謝の習慣
ポジティブ心理学で効果が実証されている習慣がいくつかある。その一つが「感謝」。
毎晩、その日あった良いことを三つ書き出す。「スリー・グッド・シングス」。たったそれだけで、幸福度が上がり、うつ症状が減るという研究結果がある。
半信半疑で始めてみた。
最初は難しかった。「良いこと」が思い浮かばない。でも続けるうちに、小さなことに目が向くようになった。「朝のコーヒーが美味しかった」「電車で座れた」「娘が『ただいま』と言ってくれた」。
大げさな良いことじゃなくていい。小さな良いことに気づく練習。これが感謝の習慣だ。
強みを活かす
セリグマンは「強み」を重視した。弱点を克服するより、強みを伸ばす方が幸福に繋がる。
VIA(Values in Action)という性格強み診断がある。24の強みから、自分のトップ5を知ることができる。
僕の結果は「知的好奇心」「慎重さ」「誠実さ」「学習欲」「公平性」だった。
これを日常で活かすと良いらしい。学習欲があるなら、新しいことを学ぶ機会を意識的に作る。好奇心があるなら、知らない道を歩いてみる。
弱点を克服しようと努力してきた人生だった。でも、強みを活かす方が楽しいし、成果も出る。発想の転換だった。
親切の効果
意外な知見もある。「他人に親切にすると自分が幸せになる」。
ある実験で、参加者に少額のお金を渡し、「自分のために使う群」と「他人のために使う群」に分けた。結果、他人のために使った群の方が幸福度が高かった。
金額の大小は関係なかった。使い方が問題だった。
これは直感に反する。自分のためにお金を使った方が得した気分になりそうなのに。でも、人間は社会的動物だ。他者への貢献が、深い満足を生むようにできているらしい。
電車で席を譲ったとき、ゴミ拾いをしたとき、同僚を手伝ったとき。確かに、自分が少し軽くなる感覚がある。
科学と哲学の交差点
ポジティブ心理学の知見を見ていると、古代の哲学者たちの教えと重なる部分が多い。
アリストテレスの「徳による活動」、仏教の「執着を手放す」、儒教の「人間関係の重視」、ストア哲学の「制御できることに集中する」。2000年以上前の知恵が、現代の科学で裏付けられている。
逆に言えば、人間は2000年経っても変わっていないということだ。幸福の条件は、時代を超えて普遍的なのかもしれない。
実践してみる
ポジティブ心理学の良いところは、具体的な実践方法が示されていることだ。
毎晩、三つの良いことを書く。週に一回、誰かに親切をする。自分の強みを意識して使う。フロー状態に入れる活動を増やす。大切な人との時間を優先する。
大げさなことじゃない。日常の中で、少しずつ。
始めて半年。劇的な変化はない。でも、確かに何かが違う。良いことに気づきやすくなった。イライラする時間が減った。夜、布団に入るときの気分が、前より軽い。
科学が示した幸福の条件。試してみて損はない。