この一週間、幸福について書き続けてきた。アリストテレスから始まり、仏教、ストア哲学、エピクロス、儒教、老荘思想、カント、功利主義、実存主義、フランクル、ポジティブ心理学、日本の無常観、アドラー。
2500年の知恵を駆け足で巡る旅だった。
そして今、一つの問いに向き合っている。「結局、幸福とは何なのか」。
共通点を探す
これだけ違う時代、違う文化の思想家たちが、幸福について語ってきた。対立する部分もある。でも、共通する部分もある。
幸福は「得る」ものではなく「なる」もの
アリストテレスは「活動」と言った。仏教は「執着を手放す」と言った。ストア哲学は「制御できることに集中しろ」と言った。どれも、幸福を受動的に受け取るのではなく、能動的に作り出すものとして捉えている。
宝くじに当たっても、三年後には幸福度が元に戻るという研究がある。幸福は外から来るものじゃない。内側から生まれるものだ。
人間関係は幸福の基盤
儒教は「五倫」を説いた。エピクロスは友情を最も重視した。アドラーは「共同体感覚」を語った。ポジティブ心理学は「良好な人間関係」を幸福の五要素に含めた。
一人で完結する幸福は、ほとんどの思想家が否定している。人は繋がりの中で幸せになる。
「今ここ」の重要性
仏教の瞑想、ストア哲学の「現在に集中せよ」、老荘思想の「無為」、日本の「一期一会」。過去を悔やまず、未来を恐れず、今この瞬間を生きること。
僕たちは頭の中で、過去や未来に住んでいることが多い。でも、人生は「今」の連続だ。今を生きない限り、永遠に幸福は来ない。
矛盾点を受け入れる
一方で、対立する教えもある。
カントは「結果より動機」と言った。功利主義は「結果がすべて」と言った。どちらが正しいのか。
サルトルは「自由を引き受けろ」と言った。仏教は「自我への執着を捨てろ」と言った。自分を強く持つべきか、手放すべきか。
こういう矛盾に出会ったとき、僕は「どちらも正しい」と思うようになった。
状況によって、有効な思想は変わる。選択を迫られたときはカントの動機論が役立つ。政策を考えるときは功利主義が有効だ。どちらかを絶対視する必要はない。
哲学は道具だ。場面に応じて使い分ければいい。
僕なりの幸福論
一週間の旅を経て、僕なりの幸福論が少しだけ形になってきた。
1. 自分の「徳」を磨き続ける
アリストテレスの教え。人には得意なことがある。それを伸ばし、発揮することが幸福に繋がる。強みを活かす。毎日少しずつ、昨日より良い自分になろうとする。
2. 執着を緩める
仏教、ストア哲学、老荘思想の教え。すべてを手に入れようとしない。変わるものに固執しない。「こうでなければならない」を減らす。力を抜く。
3. 大切な人を大切にする
儒教、エピクロス、アドラーの教え。遠くの他人より、目の前の人。SNSのフォロワーより、家族や友人。繋がりを深くする。
4. 意味を見出す
フランクルの教え。人生は僕に何を期待しているか。この状況にはどんな意味があるか。問いを逆転させて、主人公として生きる。
5. 今を味わう
仏教、日本の無常観の教え。過去は変えられない。未来はわからない。確かなのは今だけ。今日の朝のコーヒー、今日の娘の笑顔、今日の空の色。小さな幸せに気づく。
哲学は生きるためにある
哲学というと、象牙の塔の学問、役に立たない議論、というイメージがあるかもしれない。
でも、今回改めて思った。哲学は生きるためにある。
どう生きるか。何を大切にするか。苦しみにどう向き合うか。これらの問いに、何千年もの間、人類は取り組んできた。その蓄積が哲学だ。
僕たちは一人で答えを出す必要はない。先人の知恵を借りればいい。
終わりに
幸福論の旅が終わる。
でも、幸福を追求する旅は終わらない。一生かけて、少しずつ、自分なりの答えを見つけていくのだろう。
42歳の僕には、42歳なりの答えがある。でも52歳になったら、また違う答えが見えているかもしれない。それでいい。
変わっていくことを、恐れない。問い続けることを、やめない。
来週もきっと、喫茶店で本を開いている。今度は誰の思想に出会えるだろうか。どんな問いに直面するだろうか。
それもまた、幸福の一部なのだと、今は思える。
シリーズ「幸福とは何か」を読んでくださった皆さんへ
一週間、お付き合いいただきありがとうございました。
哲学は難しいと思われがちですが、その核心は「どう生きるか」というシンプルな問いです。この記事が、あなた自身の幸福について考えるきっかけになれば、これ以上の喜びはありません。
明日からまた、日常が始まります。でも、ほんの少しだけ、今日の空の色に気づいてみてください。身近な人に「ありがとう」と言ってみてください。
それが、幸福への第一歩かもしれません。